2014年1月1日号(第690号)

2014年 新年特集号

地域公共サービスを再構築し、
持続可能な社会を創造しよう。

原点から運動を強化し自治労運動の前進を図ろう

府本部執行委員長 橋元 信一 

photo新年明けましておめでとうございます。組合員とご家族のみなさま、今年の年末年始は日程的に、ご家族やご友人と長く過ごせるお正月となりました。ゆっくり過ごしていただいていることと思います。

昨年は、組合員の皆様におかれましては、自治労京都府本部に結集し、様々な活動や取り組みにご参加いただきありがとうございました。特に7月に行われました第23回参議院選挙では、自治労組織内議員「あいはらくみこ」へのご支援をいただき、厚く御礼申し上げます。

この一年余、アベノミクスと称し、景気回復の報道がなされていますが、実感はありましたでしょうか。特定秘密保護法の強行採決に見られるように自民党政権は、国家主権を強め、「成長」を盾に、法人税減税や労働者保護ルールの緩和など企業優先の政策を推し進めています。

昨年は、地方交付税を一方的に削減する中で、地方公務員給与削減が「強行」されました。今年3月で終了となりますが、消費税増税と相まってマスコミによる世論扇動が危惧され、地方財政・公務員給与をめぐっては、引き続き厳しい状況が続くと想定されます。組合員みなさんのひとりひとりの力が跳ね返す原動力となりますので、さらなる結集をお願いいたします。

今年は、午年です。「荒馬の轡(くつわ)は前から」(困難な問題にぶつかったときは、真正面から堂々とぶつかるのがよいということ)のことわざのように、地方財政、公務員給与の問題、脱原発社会の実現、憲法改悪の阻止など、取り組むべき課題は山積していますが、直面する様々な課題解決に向かって自治労運動への参加をよろしくお願いいたします。そのためにも、各単組・支部でしっかり足固めをしていただき、組織の拡大をめざした取り組みをお願いして、年頭のご挨拶といたします。

みんなで元気になろう。
働くことを軸とする安心社会をめざそう。

2014新春対談

政権が交代し、アベノミクスで株価は上がったものの、私たち働く者の生活が改善されたという実感はない。

今年の新春対談は、山田啓二京都府知事と連合京都会長となった橋元信一執行委員長に、日本の未来や労働組合への思いについて語っていただいた。

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京都府知事
 山田啓二(写真 右)

府本部執行委員長・連合京都会長
 橋元信一(写真 左)


〈進行〉高橋直樹(府本部書記長)
2013年を振り返って
高橋
あけましておめでとうございます。いよいよ2014年の幕が開きました。まずは昨年を振り返っていかがですか。
橋元
知事も全国知事会として発言していただきましたが、国家公務員の給与削減に乗じた地方公務員への給与削減が強制されるなど、政権交代の影響が労働組合にとって大きな変化をもたらし厳しい年だったと感じます。給与削減問題は今年3月で終了ですが、4月からは消費税が上がることで、マスコミによる公務員バッシングが危惧されます。私たちは自治労本部とともにアピールしていく必要があります。
山田
今この日本に必要なのは、「みんな元気になろう。元気になるためにがんばろう」という連帯感だと思います。アベノミクスの思い切った財政出動は評価できる反面、公務員の給与カットは、アクセルとブレーキを両方踏んでいるようなもの。両方踏んだら車は、スピンしますよという危険性を訴えて、政府とやりあって、地方の被害を何とか食い止めようと頑張ってきました。また台風18号の被害は、50年に一度といわれる規模のものですが、10年に一度の大災害をもたらし、災害の規模や性格が変わってきているので、「安心・安全」を強化したい。
一方、いい面としては、中・長期的にやってきた施策が、実を結んできたこと。京都縦貫自動車道の名神高速道路接続など「府域の均衡な発展」のためのインフラの整備が形になってきたことや和食のユネスコ無形文化遺産登録など、京都発信の未来に向けた明るい話が出てきたことですね。
橋元
地方自治に向けて、自治労本部は連合とともに『働くことを軸とする安心社会』の構築をめざして取り組む中で、質の高い公共サービスの提供をめざすためにも、十分な財源と人員の確保、そして府・市・町村民の参加型自治を促すとともに、職員給与や勤務条件については、地方として自律的な労使交渉を十分尊重し決定することが求められています。
山田
「地域の元気なくして日本の元気なし」と安倍総理は言われますが、それを実行しないといけない。消費税は上げたわ、景気は悪くなったわ、結果として税収は下がったわ、では目もあてられない。特に地方公務員の給与は地元の中小企業や福祉関係や、地元の給与の一つの基準になっているわけですから、これを下げることの波及効果は国家公務員とは違う次元で、影響が大きいと訴えてきたところです。各民間企業に「賃金を上げてください」と言いながら、「公務員給与は下げます」とは言えないし、そのようなことではデフレは脱却できないとずっと言ってきました。
ただ、消費税を上げることがいい、悪いではなく、それによって本当に安心した生活ができる行政が確立されるのかということが大切だと思うのですが、この議論が、どうも見えてこないところを心配しています。
労働組合に期待すること
労働組合の組織率の低下と、知事から労働組合に期待することについて。
橋元
組織率は確かに18%を割り非常に厳しい状況です。働く人々が本気になって、いまの職場、状況、環境でいいのか、無理をしていないのかと考えてほしい。その中で、みんなで助け合って、働いている状況や環境をよくしようと思って集まる。その集合体が労働組合の原点であり組合員が何を求めているか、労働組合に対する自分たちの思いが伝わっているかも含めて、労働組合のアピールの仕方、宣伝の仕方に工夫が必要だと感じます。その中での若者の組合加入を期待します。
山田
私も、最初に勤務した岐阜県では、自治労の組合員でしたけど、この時期だと、青年部でスキーバスを企画したりしていました。組合の原点は、仲間意識を作って、みんなで助け合い、信頼関係を作ること。地域力再生も同じことで人と人との絆が大切。今は個人で動いて、会社の中でも社内旅行とか少なくなって、人と人との繋がりが少なくなっていくところに団結力も少なくなり、全体の力も弱くなります。自治体の労働組合は、社会全体の働く環境をよくしていかないと、ますます孤立する危機感はあります。そういう運動の中で新しい環境をつくっていかないといけないと思います。例えば、雇用創出活力会議では、非正規雇用対策を重点に変えていきました。日本の大きな問題は、そこに労働環境格差があって、一つ間違うと非正規は切り捨て対象になってしまう。同一労働同一賃金的な発想を入れ、本当の意味でみんなが元気になれる仕組みが必要です。
「みんな元気に」をテーマにやっていくことで組合が本当の意味で信頼を勝ち得て、成果を上げる基礎になっていくのではないでしょうか。
橋元
自治労の調査でも3人に1人が臨時・非常勤等職員といわれ、そのほとんどが、年収が約200万円以下で雇い止めに不安を感じながら日々の業務にあたっています。しかし、改正パート労働法や労働契約法などが適用されないなど民間労働法制と地方公務員制度の狭間で、法の谷間におかれた存在となっています。臨時・非常勤等職員を仲間として迎えて、ともに法整備を進めていくことが自治労としての課題です。
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めざすべき「希望の京都」と今年の抱負について
高橋
知事がめざす「希望の京都」ですが、新年度で、これは具体化したいというものがあればお聞かせください。
山田
第一に「安心・安全」をつくりあげないといけない。そうしないと皆、安心して働けない。「安心・安全」の基盤は、少子高齢化や異常気象が続く中で変化していくものですから、福祉対策、災害対策とか、みんなで助け合う社会が必要となります。その上で、京都ならではの伝統産業や文化などへの、誇りをしっかりと花開かせることが大切となります。さらに、少子化問題をそろそろ皆で真剣に考えていかないと手遅れになるなということだけは強調したいと思います。
高橋
12年間、知事をしてこられて、その中で印象に残ったことを。あわせて次期に向けてという話も踏まえて、知事の抱負について。
山田
12年間、知事をしてきて、災害対応など緊張の中で走り続けてきたというのが実感です。行政は福祉を充実させ、システムを整備して住民福祉を向上させることが一番の目的ですが、今の日本においては、未来に向かって希望のもてるビジョンを示し、それに向かって「皆、元気にいこうじゃないか」というメッセージが大切です。文化、伝統、学術などの英知が集まるこの地域で未来に希望を持ち、そういう希望のもとに皆で手を携えて、日本を明るくできる京都をめざしたい。それは多分、自治労の組合員の皆さんにとっても一番やりがいのある仕事につながると思います。
橋元
鳥インフルエンザの時の素早い行動や判断には感銘を受け、迅速な処理で被害が最小限に止まったことが印象的でした。また、政労使が一体となって、ジョブパークを立ち上げたことも素晴らしいと思いました。
山田
ジョブパークは、連合と経営者協会と京都府・京都市などが協働し立ち上げました。ともに力をあわせて皆で未来を切り開いていくためには、できるだけ多くの人が関わり、お互いの力を認め合う体制が必要な時代。ジョブパークは、単に就労斡旋施設ではなく、そういう理念を実現する場として作りました。
橋元
3期12年の経験を活かして、次もめざしてほしいと思いますね。
山田
最初の知事就任当時と今では全国での発言力が全然違う。いろいろお話を聞いて、決断する時期がきました。
橋元
自治労としては、安心して生活できる社会の構築と地域社会を支える公共サービスの発展と強化をめざすとともに、さまざまな課題解決のため各単組・支部の組織強化をおこないながら、労働組合の組織拡大をめざしたいと思います。
高橋
どうもありがとうございました。

昔から人と馬は仲良し

暮らしにかかわってきた馬たち

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日本馬のルーツ 馬は大陸から伝来

現在、日本で在来の馬とされているのは、大陸で家畜化された馬が、古墳時代に海を越えて伝来したものだ。小型、中型と体型に違いがあっても、同一遺伝子を保有していることから、今日では同様の経路で移入したと考えられている。

縄文・弥生期の遺跡から馬の骨が発見されていることから、その時代にはすでに馬が日本にいたと、かつては思われていた。しかしその後の発掘で、馬骨は後世に埋められたものだと考えられるようになり、現在では縄文・弥生期に馬が日本で生息していた可能性はほぼないとされている。

伝来以前の種は 地球温暖化で絶滅

では大陸から伝来する以前、馬が日本にいなかったかというとそうではない。日本に生息した最も古いウマ科の動物は3本指のアンキテリウム。上あごと下あごの化石骨が約1500万年前の平牧層上部から出土したためヒラマキウマと呼ばれている。また、鮮新世(500〜160万年前)には3本指のヒッパリオン、その後期には今日の馬と同じエクウスが日本に渡ってきていた。

これらの種が日本に残らなかったのは、氷河期が終わり、地球温暖化の影響で海面が上昇、日本が大陸から切り離されたため生態系が乱れて絶滅したのだと思われる。

馬は王権の象徴 戦で進化した馬具

日本に乗馬の風習が伝わり、本格的に定着したのは5世紀になってからのこと。馬具で飾り立てた馬は、一般人に畏怖の念を抱かせ、また神威の宿る生き物と考えられ、王権の象徴にもなった。

奈良時代以降、馬具の国産化が進むと鞍は馬上での活動に最適な形へと進化していった。平安後期には貴族の軍事化が進み、関東地方に騎馬術に優れた武士団が登場した。大鎧にあわせた騎馬戦に耐えうる丈夫な鞍と馬上での安定が増す舌長鐙が用いられた。また、平安から鎌倉にかけて活躍した馬の姿は、日本在来の木曽馬、御崎馬、北海道和種と大差なく、太い首に短い脚、体高は130cmと小さかったが力は強かった。

当時の東国の武士は馬を川で水浴びさせ、泳がせていたようだ。源義経の「宇治川の馬筏作戦」からもわかるように、意外にも馬は元来水に浮かびやすく泳ぐのが得意。JRAでも競走馬の脚に負担をかけず運動させるため水泳をさせている。

山と海の交易や 旅路にも用いられた

馬は戦いだけでなく、陸上の輸送手段としても利用された。旅にも馬は使われており、峠越えなどでは馬に頼ることが多かったと考えられている。江戸時代に入り、東海道、中山道など五街道が整備されると、伝馬や人足を集めて旅行者に便宜を図り、荷物の運搬などを行う宿駅や問屋場が設けられた。多くの物資が往来するようになり、庶民の旅も可能になった。

江戸中期には、農民による独自の輸送網ができてきた。5街道とは別に脇街道が成立し、輸送組織も発達した。輸送組織の馬方は一度に1〜6頭の馬を引き、山からは木地製品などの特産物を運び、町からは塩や魚を持ち帰った。

馬と人の生活は 古来より密接に関係

人と馬の歴史をひもとくと、その関係は多彩で多岐に渡る。人ははじめ馬やロバを食料にしていたが、その後乗ったり、物を運ばせることを学んだ。そしてついには戦争の手段としても用いた。

現代では、限られた地域で農業や運搬用に使われる馬だが、乗馬や競馬などのスポーツで人と関わっている。馬は古代より人の生活に密接に関わってきた親しい仲間であった。

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