2009年8月15日号(第605号)

核なき世界へ

原水禁世界大会に府本部から参加 2009年8月4日〜9日

被爆64周年原水爆禁止世界大会の広島・長崎大会が開催された。京都平和フォーラムからは、広島には9名(自治労5名)、長崎には10名が参加(自治労8名)。核のない平和な社会をめざす有意義な取り組みとなった。

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広島大会

8月4日から6日にかけて、広島で「核も戦争もない平和な21世紀に!」をスローガンに原水爆禁止世界大会が開催された。初日に行われた大会は6500名が参加し、平和行進には2800人が参加した。これまでの大会と違い、米国大統領のオバマ発言と、日本では民主党への政権交代が現実味をおびている。そして、長年改善できなかった被爆認定制度が政治判断で改善が進むなど、核問題をとりまく状況が大きく変化するのでは、といった期待で盛り上がっている。

これからの取り組みとして具体的には、被爆認定制度のさらなる改善や、現在の核弾頭数21000発について、2010年NPT再検討会議による核廃棄の道筋を作る。東北アジアの非核化について、6カ国協議で話し合い解決するしか方法がないという状況下で、日朝国交正常化に向けた対応を求めること。

脱原発の課題として、これまでの原子力行政の方針転換を求めること。辺野古基地は許さないなどを確認した。「核兵器廃絶を求める1000万署名」を成功させ、国内外の世論を高めていこう。

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長崎大会

灼熱という言葉が当てはまるぐらいの気温(最高38度)となった長崎市。被爆64周年長崎大会は県立総合体育館に3900人が集まった。

署名活動をする高校生に入口で迎え入れられ、長崎の平和行動の広がりを実感した。次世代への継承として1998年から国連に派遣されているとのこと。「微力であるが無力でない」との言葉が胸に響く。

大会では構成組織、各代表者の挨拶が続く。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成功に向けて全力を尽くすと力強い決意が述べられた。

被害者の訴えが64年前の悲惨な事実を訴える。突然の停電、爆風、信じられない光。一瞬にして焼け野原となった市内におびただしい死者。想像を絶する世界に直面した中嶋さんは、核兵器は人類の敵と断言する。

今年4月アメリカ・オバマ大統領の演説「核兵器のない世界に向けて具体的な措置をとる」と、7月の米ソ首脳会談で戦略核兵器の削減が合意されたことを受けて「核兵器なき世界」へ重要な一歩となった。核兵器の廃絶と恒久平和の実現をめざそうとのアピールが採択された。

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被爆当日は、京都平和フォーラムとして早朝に自治会の慰霊碑に献花を行った。その場所でも当時小学校2年生で被災された体験談を伺うことができた。「二度と繰り返さないように伝えることが自分の使命だが、残りは多くない。ぜひとも参加していただいた皆さんがさらに次の世代に繋げていただきたい。」と言葉を終えた。

最後の行動は、大会会場から爆心地公園まで平和行進。約1.2キロだが、直射日光が体力を消耗させる。原爆投下時刻11時02分のサイレンで一斉に黙とうをする。 8月7日の平和ナガサキ大会から、8日の分科会、9日の早朝慰霊碑墓参と平和行進まで予定されていた行動は無事終了し、3日間の経験を胸に平和への願いを捧げた。

京都代表チーム健闘

近畿地連スポーツ大会 2009年8月10日

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8月10日、自治労近畿地連スポーツ大会が開催。野球は雨のため順延となり、バレーボールの試合が行われた。初めて出場した宇治市学保労組は、地連での優勝経験もある強豪の西宮市従チームからなかなか得点が奪えない。

第1セットは緊張がほぐれず、一方的に得点を許すも、雨天で延期が決まって駆けつけた軟式野球の京都市職チームからの応援を受け、第2セットでは、ラリーが続く良いプレーが見られた。第1セットが21対3、第2セットが21対7という試合結果にはなったが、「楽しくプレーできた。来年も近畿地連大会を目指します」という近藤多津子監督の決意が語られた。

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また、翌11日には野球大会がスタート。自治労京都市職は野洲市職労と対戦し、初戦突破をめざし健闘したが、0対5で敗れた。

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